ある。これらの人々が、今日読もうとしている書物は、何であろう。
 そう思って、新刊書のおかれている網棚の方へ目を移そうとしたとき、入口わきの凹みに、横顔をこちらへ向けて小卓に向い、何か読んでいる一人の司書の老人に注意をひかれた。黒い上っぱりを着ている。袖口がくくられてふくらんでいる。その横顔の顎の骨は、私の記憶のなかにくっきりとしているとおりのおとなしい強情さで小さく張っている。それは、あの顔であった。図書館につきものの顔である。が、髪の白さはどうだろう。脊のかがまり工合はどうだろう。この人は最近に全く老人になった。ひょいと、何かのはずみで、その人がこちらへ顔の正面をむけた。私は、一層おどろいた。その顔は、さっき正面からじっとみていたときには、別人としか思えなかった円顔の老司書の容貌である。栄養が十分足りて、ふくらんでいるとは思えない、むくんだような艷のわるい老司書の顔である。再び横に戻ったその輪廓を眺めれば、それはまぎれもない昔馴染の耳の下から顎へかけての線である。生活の物語が、そこから溢れてこちらの胸に流れ入るように感じられた。歳月によって老い、面変りした正面の顔、それにもかかわら
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