も何だったか、借りようとして書き出した本をわたしてくれた。そのとき、年のことを云った人の顔立ちが、不思議に後々まで鮮やかに私の記憶に刻まれた。どこと云って目立つところのない、おとなしい小ぢんまりした色艷のよくないその顔は、顎の骨がいくらか張っていた。特徴がないその顔には、しかし、何年も一つ仕事についていて、しかも朝暮本ばかりを対手にしている人間の、表情の固定した、おとなしい強情さというようなものがはっきりと感じられるのであった。
それから三十年近い歳月の間には、波瀾があった。私は一人の女として、何年も図書館など見向きもしない有様で暮したことがある。そうかと思うと、又ひょっこり現れて、暫く熱心に通いつづけるという工合であった。そういう風にして、何年ぶりかで図書館へゆくとき、いつも、そこに一人の司書の小堅い顔と黒い上っぱりのくくれた袖口とを思い出した。その人はいるかしら、と思って来て、待つ間に見まわすと、たがわずその司書は、もとのように司書の席にいるのを発見するのであった。それは、たまにゆく古馴染の家の見なれた目じるしの柱の節のようであった。格別何という意味はない。けれども、そこへ行って見てその節があると、何となく心がおさまる。私にとってそういう風な、図書館の一つのつきものなのであった。書籍をかかえて書庫との間を往復する少年や青年たちの、あの興味なさそうな、のろくさいすべての動作と埃っぽい顔色と同じように。――
この前に来たときと、きょうとの間に七年の月日が経過している。間に戦争のはさまった七年であった。あの司書はいるだろうか。左へ右へ司書の顔を見くらべた。それらしい人は見当らない。ぼってり太った、白い無精髭の生えた爺さん、この司書は体つきからして別人である。若い人は論外だし、もう一人いる人も、円いような顔の老人で、すっかり背中を丸め、机の下でこまかい昔の和綴じの字書の頁をめくっている。もうあの人もいなくなったのかもしれない。
時の推移を感じ、私は視線をうつして、前後左右に待っている閲覧人のどっさりの顔を眺めわたした。ここには青年が多い。それは、いつもそうであった。だけれども、今そこここに佇んだり、長椅子にかけたりして本の出されるのを待っている若い人々の顔つきは、こうして集っているところを見ると、もととはちがっているのにおどろかされた。何と、これらの若い顔々は、木
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