彫りか土偶かのような、単純に目、鼻、口と切りあけたというようなマスクをしているのだろう。顔だちとしては、一人一人が別の自分の顔立ちをもってはいるけれども、奇妙な無表情の鈍重さが、どの顔にも瀰漫している。医大の制帽の下の眉の濃い顔の上にも。無帽で、マントをきた瘠せた青年の顔の上にも。しかも、その顔々は、図書館の広間に集り、街頭には無い何かのゆたかさを、それぞれの精神に摂取しようとして、待っているのである。混む省線の中で、どっと乗りこんで来た専門学校の学生のかたまりなどと、計らずも密着して立ち、揺られてゆくようなとき、それらの若い顔の粗笨な単調な刻みにおどろきを感じたことが一度ならずある。戦争は、におやかであるべき青春の相貌を、このようなものに変えた。その思いで、いつも、心の底ふかくこたえて来る感銘があるのであった。戦争をさしはさんで何年ぶりかで図書館へ来て見れば、図書館に充満しているのは、そのような青春の顔々である。これらの顔々が、人間らしい軟かさ、鋭さ、明確さの交々流動するものに、両び成りかわってゆこうとしている。その無言の欲求が、ここにこれだけの数のその顔々をあつめていると思えるのである。これらの人々が、今日読もうとしている書物は、何であろう。
そう思って、新刊書のおかれている網棚の方へ目を移そうとしたとき、入口わきの凹みに、横顔をこちらへ向けて小卓に向い、何か読んでいる一人の司書の老人に注意をひかれた。黒い上っぱりを着ている。袖口がくくられてふくらんでいる。その横顔の顎の骨は、私の記憶のなかにくっきりとしているとおりのおとなしい強情さで小さく張っている。それは、あの顔であった。図書館につきものの顔である。が、髪の白さはどうだろう。脊のかがまり工合はどうだろう。この人は最近に全く老人になった。ひょいと、何かのはずみで、その人がこちらへ顔の正面をむけた。私は、一層おどろいた。その顔は、さっき正面からじっとみていたときには、別人としか思えなかった円顔の老司書の容貌である。栄養が十分足りて、ふくらんでいるとは思えない、むくんだような艷のわるい老司書の顔である。再び横に戻ったその輪廓を眺めれば、それはまぎれもない昔馴染の耳の下から顎へかけての線である。生活の物語が、そこから溢れてこちらの胸に流れ入るように感じられた。歳月によって老い、面変りした正面の顔、それにもかかわら
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