んだろうか、下駄をあずかる気分にもちがったところをもっていて、来る人間に、目前の利慾からはなれたこころもちをおこさせる調子があるのである。久しく来なかったら、よくよく様子が変りましたね、入場券、あちらで貰うの、そう訊くと、爺さんは、ああと肯きながら又ひとりでに立ち上って、そこを入って行った右手のところでね、と教えた。
やっぱり柵の間を通るようになっていて、そこにテーブルをひかえてこちら向きに受付がいる。そこで閲覧料を十銭だせ、と書いてある。十銭ですか、特別も? 黒い毛ジュスの事務服を着た中爺さんは、首だけで合点して、そう、と答えた。この役人風な調子も、やはり上野風である。戦争でやけてしまわなかった図書館をよろこんで珍しく眺め直すこころもちには、役人くささも、相変らずとほほえまれた。
二階へ上ると、おどり場に台と腰かけがおいてあって、喫煙室と書いたしるしが立てられている。そこで外套をきた若い男が二人、てんでにちがった方角を見ながら煙草をふかしていた。三階の書籍かり出しのところとカタログ室とは、もとからここにこうしてあっただろうか、いかにも埃っぽくて奥が深く暗い書庫に向って、裁判所めいた高い卓があるところは、見馴れたここの光景だが、カタログ室の方が妙にガランとしている。書籍かり出しに、相変らず時間がかかると見えて、いつからそうなったのか、皮ばりの大長椅子が二列、三かわほど置かれ、そこにすき間なく閲覧者がかけて待っている。それは病院のような、役所のような燻んだ雰囲気である。婦人閲覧者のかり出しぐちは、別に塗板がかけられて、一人専任がいた。これは元のとおりである。
きょうもまた、古い昭和初期の新聞を出して貰うのを待ちながら、私は特別の関心で、高い卓のあっち側で事務をとっている黒い上っぱりの三人の男の顔だちを見くらべた。まだここにつとめているだろうか。そう思いながら来た人があった。
はじめてこの図書館へ来たのは、女学校の二年ごろのことであった。元禄袖の着物に紫紺の袴、靴をはいた少女が、教室の退屈からのがれてこの高机の前に立ち、手を高くのばして借出用紙を出したとき、それをうけとった黒い上っぱりの人が、あなたまだ十六になっていないんでしょう? ときいた。早生れの二年生であったから、十六になっていなかった。返事に困って黙っていると、ここは十六からなんですよ、と云って、それで
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