蛮さとを感じる。面白がって、笑ってみている若い人々の、その人たちの運命は、森の精霊よりもっと兇悪な日本の軍事的暴力のために、あれほどまでに愚弄された。舞台では、アテナの二組の恋人たちが、パックのおとす一滴の草汁のために、対手をとりちがえ、愛そのものをとりちがえて、泣きつ叫びつ混乱する。それを、ゲラゲラ笑って見ているほど、それほど愚弄されることについて日本民衆の感覚はマヒさせられている。軍事的愚弄をうけっぱなしの笑いかたをしていた。笑いは決して諷刺にまでたかまっていなかったし、演出者の力点も、アテナの主権とそのしきたり[#「しきたり」に傍点]に反抗する若い二組という面で強調されていた。つっこんで云えば、そういう政治権力に抵抗したあの時代の若い人々の自然発生の自覚は、同時にあんな魔法でひっぱりまわされるほど哀れに暗い一面をもっていた、ということにルネッサンスそのものの時代性がある。半ばさめ、半ば眠っている日本の現代への諷刺として、この点を興味ふかくとらえるならば、演出者は、ルネッサンスを歴史性ぬきの人間解放の面からだけ解説せず、その暗黒さにおいてもリアルに解説して、観衆の心に笑いながらいつ
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