影がある。したがって、日本での人間性の解放を具体的に考えるとき、それはこの二重の影を二重に、同時的にうちひらいてゆく運動の理解に立たなければならない。理屈の上でそうなのではなくて、事実が、それを求めている。
 この日本の民主主義の複雑な性格のために人間革命ということの理解も、固定して扱われがちであり、そのために実際の歴史的動力としての溌溂さを失っている。ブルジョア民主主義を完成してから――そこで個人個人の人間革命を完成させてから、その次の社会主義的な民主主義に――より社会的要因の多い個人への発展に向うと考える考えかたがはびこっている。
 これが固着的に考えられれば、どんなに現実からはなれたものとなるかは、毎朝の新聞一枚よめば誰のめにも明白である。日本の一九四七年にブルジョア民主主義の完成を求めるというひとは、どこにその実際の経済的地盤――次第に興隆に向いつつある若い資本主義を見出そうというのだろう。日本の全人民が収入の七割以上を税金にとられ、終戦費がそこから出されてもゆく、そのどこにワルト・ホイットマンの時代の社会があるというのだろう。
 歴史の圧縮された二重の性格を貫いて、人民生活の
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