真夏の夜の夢
宮本百合子

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 ルネッサンスという時代が、人間理性の目ざめの時期でレオナルド・ダ・ヴィンチを産みながら一方では魔力が人間生活に直接関係するということをまだ信じていた野蛮な時代であったという事実を、はっきり会得しなければならないと思う。とくに、いまの日本では。――ケプラーの伝記、メレジェコフスキーの小説をみてもそのことはまざまざと描き出されている。
 最近の十数年間に、日本では二度、ルネッサンスにむすびつけて人間性の解放または人間とその文化の復興ということが云われた。はじめのときは一九三三年ごろ、プロレタリア文化運動が弾圧されつくして、日本の文化が歴史的な発展の道をふさがれたとき。その頃日本ロマン派と云われた一団の人々は、人間性の復興、文芸復興と叫んだが、その叫びは徒に空に消えて、それらの人々は林房雄を先頭として急速にファシズムにしたがえられて行ってしまった。日本ロマン派のルネッサンス論には、現実の社会生活の中で最も本質的な一つの理解がかけていた。あるいは、これらの人々は故意に、その一点をさけてとおり、または見ないふりをした。その一点こそは、ベリンスキーがシェクスピアについて云っているルネッサンスの歴史的核心、ルネッサンスの歴史性についてであった。現代とルネッサンス時代との間には、もう四五世紀が経過している。きょうのあらゆる社会の現象は、その間に発展し、複雑化し、爛熟した世界の資本主義がもたらす必然的な諸事情に関係していて、その激甚な矛盾、相剋、その発展の統一の方式が現代の世紀の課題であるということを、一九三三年に、ルネッサンスを叫んだ人々は認めようとしなかった。これらの人々にとってその不条理は、むしろ当然であったとも云える。なぜなら、この人たちは、当時の日本の支配者が、侵略戦争に対する批判や超国家主義への疑問を封じた、その立場によりたって、社会に階級があり文化に堕落性がある現代の歴史的事実を否定したのだから。そして、歴史の現実の内容づけなしにただ人間解放を叫んだのであったから。彼等にはルネッサンスを、そういう角度からつかう必要があった。歴史的に発展する方向を示さない人間性の解放、情熱のよび出しは、フ
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