愛観、性道徳の不安に脅かされているのである。
ここに我々の深く考えなければならないことがあると思う。
人間は、自己の運命を決する時、決して一時間の時を要しない。総ては瞬間にかかっている。準備、そこに到る力を蓄積するには、勿論五年なり十年なりの歳月が要されるだろう。然し、或る運命的な一瞬間と結びついて、始めてそこに決意と決行とが行われて来る。
裡に絶え間ない不安、焦燥、生活の革新を抱いている者は、或る時は終に爆発する。それが、その時の周囲の状況、社会輿論の暗示によって、種々異った形式を採るのは争われない事実なのである。
故に、我々は、その重大な一点に、絶えず聰明な、透徹した眼を据えなければなるまい。
或る女性が、彼女の十年来共棲して来た良人を棄てて、新たに甦った人生を送るために愛人の許に馳った。斯様な一事実に面した時、我々は、彼女が、自己の人[#「人」に傍点]としての運命、性格、力量を、どこまで深く沈思したか。無意識の裡に外界から暗示され、刺戟されて来たあらゆる理智概念、社会的風潮に対して、如何程の真実と純粋さとを以て自己という人格の、犯すべからざる途をつけたか。ということなどを、深く、公平に考えなければならないのである。
若し、その行為が、動機に於て全く絶対なものであり、その人の過去の経歴、性格等によってはそうほか成りようのないものであったのなら、私は、たといそれが百人、千人の為る平凡な、或は愚といわれる種類の行為であっても、それは仕方がないと思う。批評の外に出ている。そこに、人間の個性的運命の、襟を正さしめる寂寥と絶対とが存するのである。
けれども、それ等の、長い眼、大きな心から見れば確に例外、悲しむべき除外例とすべき一事件に対して、周囲が、何等かの意味に於て同様の不安に苦しめられている時、批評、噂する態度は、非常に常軌を逸して来る。
先ず、ト胸を打たれて忽ち冷静を失う。嘗て、或る知名な女流歌人が右のような行為に出た時、都下の或る大新聞は、文化の最高指導者たるべき紙面を、全部その報告、ドキドキさせるようなロマンチック・センセーションで埋めまでした。寧ろ、悲惨な心持がせずにはいない。それほど、皆が心を動顛させられる。其人[#「其人」に傍点]の圏境、その人[#「その人」に傍点]の持って生れて来たに違いない内在力などが、明に頭に考えられるより先に、自他を
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