国に対してはいつも侵略者であったという悲しむべき事実から、同じ東洋のわたしたちも、パール・バックの鏡によって、真実の中国への愛をよびさまされたのであった。
「春桃」の中に一篇の「うつしえ」という作品がある。冰心女士の作品である。この短篇を読んで、小さくはあるが非常に深いおどろきにうたれるのは、私一人ではなかろうと思った。パール・バックの作品を近代の堂々とした三面鏡にたとえるならば、冰心女士のこの小説は、紫檀の枠にはめこまれた一個の手鏡というにふさわしい。けれども、このつつましい、繊手なおよくそれを支える一つの手鏡が何と興味つきない角度から、言葉すくなく、善良な一人のアメリカ婦人の衿あしにみだれかかる幾筋かのおくれ毛を見せてくれているだろう。東と西とが団欒する客間の椅子では語られず、聴かれない、おくれ毛の人生的なそよぎが「うつしえ」一篇にみちている。「うつしえ」の女主人公は、ニューイングランド出の婦人宣教師C女史である。彼女が二十五歳で中国のキリスト教女学校に赴任して来たとき、一番若い、一番美しくてやさしいC女史は、どんなに崇拝の的になったろう。P牧師も、きっと彼女の良人になる人だろうと思われるほど、彼女を崇拝した。しかし三年たってP牧師が休暇帰国して来たときには、快活な牧師夫人を伴っていた。やがて、時が経つうちに、次々と新しく若い女教師も来るようになり、C女史は小さなとある胡同《ホウトン》の家に移った。「そこで彼女は一匹の小犬を飼い、幾株かの花を植え」「春の日は花の下に坐し、冬は煖炉にうずくまって、心情は池水のように、静かに、小さく、絶望的で、一生はこうして終ってしまうのだと、自ら悟った様子でした」
そこへ思いもかけず、学者の孤児となった淑貞《シューチョン》がひきとられ育てられることとなった。彼女は「柳の花のように」C女史の「感情の園生に飛びこんだ」
十年の間C女史の身辺で、「あたかも静かな谷間の流れのようであった」淑貞はC女史にとって「天使のような慰め」である。中国を心から愛し、評価するC女史は、淑貞を、教養深いが純粋な中国の女性として育てあげて来たのであった。
十八歳で女学校が終ったとき女史は淑貞をつれてニューイングランドの故郷の家へ戻った。もし淑貞がニューイングランドを好きならば、そちらの大学に入れてもよいと思ったのである。
どこへ来ても、淑貞のはにか
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