に血のぬくもりと、折れども折れぬ民衆の生活力と、学問ならざる愛すべき人間叡智とを感じ直しているように思える。「人に依頼する者と人から掠奪する者のみが所謂風俗習慣を遵守し得る」親愛の情をもって、作者は春桃の生活態度を肯定している。ひとが何と云ったってかまわないし、妙なことを云えば、ねじこんでやればいい、という春桃の頸骨のつよさは、中国独特の肌理《きめ》のこまかい、髪の黒い、しなやかな姿のうちにつつまれている。
 パール・バックは、中国の庶民の女の生きる力のつよさ、殆ど毅然たる勇猛心を実によく感得した。それら中国の妻たち、母たちは、高い身分から低い身分の女に到るまで、親愛と敬歎をもって描かれている。しかし、文学というものの微妙さ、民族性というものは、云うに云えなく興味ふかい。パール・バックの筆は沈着、精密、精彩をもっているけれども、そして時に偉大に近いけれども、落華生が「春桃」一篇に漂わしている中国のうっすり黄色い、柔かい滑らかな靭《つよ》さは、パール・バックの生れつきの皮膚とはちがった手ざわりをもっている。
 封建の伝統をもたない国の女性であるパール・バックが中国の婦人のおどろくべき強靭な生活力を、主として、妻、母という極めて重い軛《くびき》の担い手としての姿の裡に発見し、描き出した。春桃は、深い伝統の波の底にあって、しかも習俗の形に支配されきってはしまわない一個的婦女として、自覚しない独立の本能に立って見られていることも深い深い意味を感じる。あまりの貧しさ、貧しさ極った無一物から漂然とした従来の中国庶民の自由さとちがって、春桃は、稼業を見つけ出す賢さ、男二人をそれぞれに役立ててゆく才能、小さい店もひろげてゆく実際能力をもつ女であるからこその「誰のものでもない」こころもちを通して生きてゆく。中国文学において、この作品のモティーヴはこの点から観察しただけでも、或る前進の足どりを示していると思える。
 本もののヨーロッパを知っている落華生は、中国の有閑モダン女性というものに、赤面を感じるところが少くないらしい。短い、辛辣な文句が「春桃」のうちに散在している。

 中国の社会を歴史の遠近もはっきりつけてヨーロッパの心の上に、くっきり映してみせたパール・バックの作品は、世界文学の上にも意義をもっている。彼女の芸術は、東洋をうつす卓抜な鏡の一つであった。
 近代日本の権力が、中
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