正隆が思わず眼を瞠《みは》ったほど、辛辣な、冷酷な、執念深い音調で、些細な点までも説明して聞かせたのである。
 この華奢な、切下げの老人の胸に、どうしてこれほどの激しさが包まれているかと思うほど、亢奮した未亡人の言葉によれば、世の中は、要するに敵同士の寄合だというようにさえ思われる。彼が幼年の頃から、よく繰返されたように、生れてから、死ぬまで、信頼すべきものは、親が在るばかりだ。どんな外観の親切も決して、内心の真実は示しているものではない。用心をし、用心をおしよ、正隆、用心をおしよ。
 母未亡人の記憶に、今もなお鮮やかに遺されている亡父が、永年枢要な地方官として経て来た生活の中には、どんな迫害が伏せられていたか、どんな、難関が、つき纏ったか。それ等は、悉く、限りある個人の力などでは予防することも何も出来ないほど、多量であり、複雑であったという、母未亡人の説明を事実とすれば、どれほど大胆な人間をも、なお脅かすに充分なだけ、悪の微妙な筋書《プロット》を持っていた。
 気の勝った未亡人は、自制を失った興奮に燃え立ちながら、激しい、容赦のない口調で、正隆の心を、ビシビシと鞭うった。彼女は、持ち前の癖を出して、正隆がどれほど不安な眼差しをしようが、憐みを乞うような溜息を吐こうが頓着なく、彼女の暗い、凄い解剖をしつづけて行ったのである。
「だから、お前、昔から、人を見たら泥棒と思えとさえ云っているじゃあないか。世の中へ出て御覧、ほんとに油断は大敵ですよ。お亡くなりになったお父様なんかも、まるで蜘蛛の巣見たような奸策許りには、どんなに御難儀なすったか分ったものじゃない。ね、正隆、私はお前さんの行末を案じるばかりに、こんな心配までしているのですよ。お分りだろう、だから、ね、何でも気を許さずに、怕《こわ》い人になっていなければいけませんよ。人間というものは妙なもんで、一度人に馬鹿にされたとなると、もう決して、二度と頭の上りっこがないのだからね、正隆――」
 そう云いながら、今まで確りしていた未亡人の声は、俄に顫《ふるえ》を帯びた。
「ほんとにね。どうぞ仕合わせになれますように。私だって、もうそういつまでも、お前の世話はして上げられないのだからね、しっかりしておくれ、私がいなくならないうちに、せめて足場だけでも拵えておくれ、たのみますよ」
 急に、仏壇の方へ振向いた未亡人は、最後の一句を、半ば途切らせたまま、止途もなく涙をこぼし始めた。
 涙がこぼれ出すと一緒に、未亡人の感じは悉く一変した。今までは、何か陰険な、凄い、心持の悪い老婦人のように見えていた未亡人は、急に、親しい、見なれた涙脆い母親となって、正隆の前に現われたのである。
 ホロホロと光って、膝に落ちる涙を眺めながら、正隆は血の気の失せた顔を引歪めた。醜いというのだか、恐ろしいというのだか、それではあまりひどすぎるという感じが、泥を口一杯突込まれたような胸苦しさで、正隆の心に迫っていた。
 ほんとに、事実に、そんなのが、所謂世間なのであろうか、それほど悪意と、嫉妬と、猜疑に満ちて、食い合いをする世の中なのか?
 さすがの正隆も、うんそうだ、とは思い兼ねた。疑いを挾まずにはいられないほど、母未亡人が、棒切れにかけて、挙げて見せた幕の彼方は、暗澹としていた、どこにも光明が差してはいない。一面の、真暗闇である。その暗闇の中を、芝居の「だんまり」のように、徐々と窺《うかが》い寄る奸策を、また、こっそりと構えた術策で身を替す世の中は、若しそれを事実とすれば、あまりに堪らなすぎるものではないか。
 然し、母未亡人の言葉によれば、地位の高さと、名声の範囲に応じて、それ等は、拡大されるばかりだというのである。
 正隆は、思わず、
「お母さん」
と云った。が、そのままぐっと窒《つま》ってしまった。彼は、何か一言で、その暗闇に何等かの余裕をつけたかった。出来ることなら、一思いに、そんなことばかりがあるものか、と勇ましく否定してしまいたかったのである。が、彼はそうするだけの力がなかった。何より大切な、魂そのものの本然の力が乏しかった。
 彼は、母未亡人の胸に巣喰っている、人間だけを騙《たぶら》かす小悪魔の尻尾《しっぽ》を見ることが出来なかったのである。
 実際正隆は、或る程度までの放蕩児であり、小さな意味の皮肉家でもあったが、日常生活を構成する平和な余裕が、そこまで彼を、否定的な、氷島のような観察者にはしていなかった。
 勿論、彼は騙されたこともある。また、自分に騙される程度のものを、嘘で片付けたこともあった。生活そのものを、火花を散らす激烈なものとして考えていない正隆は、総てを、程々な生温《なまぬ》るさで味っているのである。善と、人が呼ぶものに対して、燃える感激を持たない彼は同時に、悪と呼ぶ者に対して、寛大な、或は無関心な主人であった。
 多くの人々が、そうして、一日一日を送っているように、善と悪との、互い違いの出現を一重隔てた彼方に眺めて、薄すりとした暖みを、あらゆる相互関係に感じているのである。よいことも、また、悪いことも、それ等は、総ての幸、不幸、運、不運を包合して、錯綜しつつ起るものではあっても、絶対の自分の安定には、要するに、微力な影翳《かげ》となるに過ぎないと思い込んでいた正隆は、愈々、その信念を、試みられようとする時になって、殆ど、根本的な打撃を与えられた訳なのである。
 性格の持つべき力の欠乏から、正隆は、生命を賭しても敢行した、真実さの爆発に対しては、弱い、皮肉な冷笑を以て齎しながら、所謂人情の、交感的な微温《ぬくもり》を否定することは出来なかった。
 その人肌の微温を四囲に感じていればこそ、始めて、正隆には息がつけた。彼の冷笑は、決して、故意に自分を陥入れようとする奸策に向ってまで、平然と放たれるほど、力強いものではなかったのである。
 彼が考えた、羨望というものは、単に彼の幸福と、その他あらゆる彼の仕合わせを裏書きするものとしてのみ現われたのである。
 奸策――。正隆は、急に世の中が寒くなったような眼を挙げて未亡人を眺めた。奸策。彼の、贅沢な、物懶い横目では、もうどうにも、負わされない一種の力、何か不気味に因縁的な、陰気な意地悪いものが、心の奥からしんしんと湧き上って、自分の周囲を立ちこめるのを感ぜずにはいられなかったのである。正隆は、今まで、ほのかに、柔らかく、甘えつつ馬鹿にしていた世の中というものに、運命のような畏怖すべき何物かを感じた。
 その掴めない、形の定らない、それでいて、何をするか解らない予感は、正隆を、ぞっとさせる。母未亡人の説明通りだとも、信じ兼ねながら、そうかといって、それを拒絶するだけの、証を自らに持たない正隆は、不安な、落付かない懸念《アンキザエティー》の横木に、吊り上げられた。が、然し、彼は、もう後へ引くことは、不可能な心持がした。
 翌日、正隆は幾個かの荷物と一緒に、校長の副島氏に贈るべき、大花瓶の箱を抱いて、南に下ったのである。

        三

 母未亡人の、単に比喩ではなく、呪うべき警告に、ぞっと心を縮めながらも、まだ若い正隆は、さすがにこれから自分を迎えようとする圏境には、多少の光輝を認めずにはいられなかった。
 つい先頃まで、彼の記録する一点の差にも、大勢の学生達を悦ばせ、また落胆させた教授という位置に、今、換って自分が立つのだ、という想像は、思わず正隆の肩を竦めさせる。
 彼は授業の方針とか、理想とかいうことで、頭を悩ます種類の人間ではなかった。
 生来、虚弱な健康に宜しいというので、野天に晒されることの多い農科に籍を置いた正隆には、地味な研究に没頭するよりも、多勢の青年を前に並べて、得意の独逸語を、美しい発音で喋ることの方が、遙に大きな快感であったのである。まして、危く一二点の差で、及、落の決定するような学生が、私《ひそか》に教師を訪問して、寛大な採点を哀願するような場合を、自分の身近に置いて見ると、正隆は、或る亢奮を感じて、優者を自負する快い微笑が、幻のように、彼の蒼白い頬に上るのである。
 そんな時、彼は、正、不正で、行動の是非を判別する気分にはなっていなかった。
 ただ、当人には飽くまで、厳格な審判者として面しながら、いざという実際の場合に、相当の斟酌をしてやる、師らしい態度に自分を仮想して、我知らず幸福になる。正隆の好きな、仄温い人息れが、ほんのりと心を包むのである。
 けれども、愈々K県に到着して、彼の宿なる謡曲の師匠の家に落付いて見ると、正隆は、自ら湧き上って来る、後悔に似た感じを圧えることが出来なかった。
 それほど周囲は、予想外であった。予想以上の「他国」が、そろそろ四辺《あたり》を見廻しながら、近寄って来た彼を、ぐっと、無雑作に掴み込んでしまったのである。
 休暇の出入りにさえ、母未亡人の大業な歓迎に抱き取られ、送り出されていた正隆は、人々の冷淡な事務的感情に、先ず心を怖かされた。
 長い旅行の間、時を忘れた呑気さに委せて、私に予期していた歓びの言葉などは、誰の唇からも洩らされはしない。ただ、一人の、若い、物馴れない新任の教師を迎えた周囲の、仕来り通りの挨拶と、あとは、物珍らしい、穿鑿《せんさく》好きな注目とが、往来を通る、車夫の瞳からさえ射出されているばかりである。
 正隆の直覚に依れば、その注目も、決して、畏敬から湧き出しているものではないらしかった。
 骨格の逞しい、昔の大和民族の標本にもなりそうな若者達が、大声で喚きながら行来する往来を、弱々しい、強調していえば、この地方の小娘より果敢《はか》なく見える彼が、強いても容積をかさばらせるように傲然と歩く姿を、人々は、どんな気持で見ているか、それは正隆が、思いたくなくても思わずにはいられないほど明かなことである。
 殆ど無数の群に対してそんな感じを、第一の印象として得た正隆は、愈々、実物として、農学校の校舎を見、学生を、直接交渉の対象として眺めた時に、まるで、憤りに近いほどの、不平を感ぜずにはいられなかった。
 多少の想像を色づけて描いていた校舎は、煉瓦造りどころか、古び切った木造で、それもようよう土台が崩れないというばかりの荒屋である。その雨風に曝されて、骸骨のようになった部屋部屋には、大きな、あから顔の山賊のような学生達が、肩を聳し、眼を怒らせて控えているのである。
 それのみならず、彼等が喋る言葉は、何よりも正隆をおどかした。
 一目見ただけでも、弱い彼を威圧せずには置かない彼等の体力の異状な差は、更に不可解な彼等の方言を添えて、正隆を息も吐かせず、縮み上らせたのである。
 勿論正隆は、K県が、特殊な方言を持っていることは知っていた。
 けれども、東京に生れて育った正隆は、方言に就ては、惨めなほど無智であった。またその無智であることを、都会人が持つらしい淡い誇りで認めていた彼は、今、実際の場面にぶつかって、少からず面喰うのである。
 一方からいえば、自分の経験から、学生だけは少くとも、標準語を使うだろうと高を束《くく》って、安じていた楽観が、現在彼等が喋る、妙に抑揚の強い、丸い、男性的であると同時に、何か原始的な気分を持った言葉によって、見事に裏切られたことになるのである。
 正隆は、完く、うんざりした、途方に暮れた、が、而し、そういって済む場合ではない。
 生れて始めての経験に逢おうとして、自分自身に対してさえ、安易な信任に落付いていられない正隆は、第一、外観の圧迫に、或る不安を感じさせられ、また、言葉の困難に遭遇して、殆ど張切れそうにまで、神経を緊張させた。同じ日本人でありながら、言葉が思うように通じない、それも、自分の云うことだけは、滞りなく先方に通じながら、相手の云うことを、明瞭に掴めないということは、単純な言葉の不自由より、更に、幾層倍か、不愉快なものであった。
 つまり、正隆は、自分の云うことは、いくらでも批評される位置にありながら、その批評を、隅から隅まで理解して、また批評を投げ返すことの出来ないのが、何よりも焦《いら》だたしいの
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