しい。何故苦しいのか、彼等が不正だからなのではないか、彼等の不公平が自分を虐げるから、自分は辛いのではないか、この点から更に一歩を進めて、それならば、彼等の不公平と、不正とはどんな原因と、内容を持っているだろうというところまで、彼の思索を進める力を、彼は生れながらにして持っていなかったのである。
それ故、この場合、正隆にとって、母よりも、妻よりも、よき一人の友が生活の活力素になる筈であった。一人のよい友人が、彼の総ての経験と、周囲の不幸な誤謬とを、些細に解剖し、解体して、あらゆる不幸な偶然を取りのけた運命の大系を暗示しさえすれば、正隆はどうにか、生活の明るみの上に息を吐けたかも知れなかったのである。然し、どこにもそんな友人は見つからなかった。平常から、群を離れて強者のようにふるまう正隆は、自分の馬鹿を披瀝する者を持たなかった。人間がどこかに持つ共通の馬鹿を、いたわり合う人を持たなかった。従って、多くの同僚は、その翌日出された辞職届のことを知って、彼の物質的安定と、そのために許される我儘とを羨望したに止まっていた。或る者は、正隆の所謂お坊ちゃんを、世にも比類のない仕合わせとして、彼を祝
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