、彼に、それは出来なかった。
対照物の価値が、低ければ低いほど、彼の、不可能の量は増して来る。若しこれが、何か至難な学理上の問題ででもあれば、正隆も、解らないものは解らないと、簡単な心持で向われたであろう。けれども、学識と天分とを、豊に持った、青年教授として、好意に満ちた副島氏の紹介につれて、壇に上せられた自分が、どうしてこんな、田舎言葉が分らないと、白状出来よう、こう云って、正隆の頼りない、孤独な自尊心が呻くのである。
勿論、これが位置顛倒して、自分が一人の学生で、傷だらけな机から逆に此方を眺めるのなら、こんな苦痛は、百分の一にも満たないだろうことを、正隆は知っていた。
けれども、教室に出て、生徒の質問を受ける毎に、感違いすることを杞《おそ》れ、自分の弱点を曝露することを恐れ、曖昧な言葉尻を、臆病に濁しながら、それでも、尚自分の自尊心に突つかれた権威を失うまいとする正隆の苦労は、全く、彼にほか解らない重荷であった。
そればかりか、正隆にとっては、毎日顔を合わせなければならない同僚が、また堪らないものなのである。
四
正隆が同僚に対して持った感じは、矢張り
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