けれども、愈々K県に到着して、彼の宿なる謡曲の師匠の家に落付いて見ると、正隆は、自ら湧き上って来る、後悔に似た感じを圧えることが出来なかった。
それほど周囲は、予想外であった。予想以上の「他国」が、そろそろ四辺《あたり》を見廻しながら、近寄って来た彼を、ぐっと、無雑作に掴み込んでしまったのである。
休暇の出入りにさえ、母未亡人の大業な歓迎に抱き取られ、送り出されていた正隆は、人々の冷淡な事務的感情に、先ず心を怖かされた。
長い旅行の間、時を忘れた呑気さに委せて、私に予期していた歓びの言葉などは、誰の唇からも洩らされはしない。ただ、一人の、若い、物馴れない新任の教師を迎えた周囲の、仕来り通りの挨拶と、あとは、物珍らしい、穿鑿《せんさく》好きな注目とが、往来を通る、車夫の瞳からさえ射出されているばかりである。
正隆の直覚に依れば、その注目も、決して、畏敬から湧き出しているものではないらしかった。
骨格の逞しい、昔の大和民族の標本にもなりそうな若者達が、大声で喚きながら行来する往来を、弱々しい、強調していえば、この地方の小娘より果敢《はか》なく見える彼が、強いても容積をかさばらせる
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