解し得ようもなかった。彼等にとって、正隆がいてもいないでも、その純粋な楽しみは同じである。小さい子供達が、友達を呼んで飯事《ままごと》をしましょうよ、というような心持で、彼等は正隆をお客様にしたのである。
 然し、正隆には、どこか間違った最初の一圧えで、すっかり様子が変っていた。彼にとって、この席は、決してそんななまやさしい飯事ではない。憎むべき、彼の影の人の悪計に満ちた饗宴である。
 あんなにも楽しそうに、あんなにも親切そうに、麗わしい表情を活躍させて、もてなした夫人さえも今はもうただ最後にここで痛い目に逢わせようために使われた傀儡《かいらい》とほか思われない。握った拳を袴の折目に埋めながら、正隆は焔を吐くような視線で、ハッタと夫人の横目を睨まえたのである。殊更、美くしい婦人の前で赤恥を掻かせて、職務上から免職はさせられない自分を、追い払おうとする気なのだろう。
 思わずも、またうまうまと羂に掛った自分に、噛み捨てるような冷笑を与えながら、正隆は女がするようにキリキリと眉を吊上げた。が、然し、坐を立つことは出来なかった。毛虫が塊ったようにしかめられた眉が、研《みが》いたような夫人の瞼がもたげられるのを感じて、殆ど本能的に緩和された瞬間、正隆の前には、もう茶碗を捧げた夫人が現れた。
 細い、反《そり》を打った白い指先を奇麗に揃えて、静々と運ばれた茶碗の中には、苔のように柔かく、ほこほこと軽そうな泡が、丸く盛り上って濃緑に満たされている。それを見ると、美くしいと思うより先に、正隆は理由の解らない憤りを誘い出された。
 手にも取らず、凝と茶碗の中を見詰めている正隆に、夫人は、
「不加減でございましょうが、どうぞ」
と云いながら微笑んだ。
 何が可笑《おか》しいのだ! 正隆は頭を上げようともしなかった。様子が変だと気が付いた夫人は、急に今までの容儀を崩して打解けた調子に返りながら、
「渋谷さん、そんなものは、どうお飲みになったって拘《かま》いませんですよ」
と云いまでした。が、正隆は、依然として動かない。稍々《やや》度を失った夫人が、何か云おうとして言葉を探している拍子に、ひょいと頭をもたげた正隆は、薄明りの陰を受けてこの上もなく陰惨に唇を曲げながら、
「奥さん、何のためにこれを下さるのですか?」
と云った。
 思わず眼を瞠って良人と視線を交した夫人は、それでも社交に馴れ
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