正隆が思わず眼を瞠《みは》ったほど、辛辣な、冷酷な、執念深い音調で、些細な点までも説明して聞かせたのである。
この華奢な、切下げの老人の胸に、どうしてこれほどの激しさが包まれているかと思うほど、亢奮した未亡人の言葉によれば、世の中は、要するに敵同士の寄合だというようにさえ思われる。彼が幼年の頃から、よく繰返されたように、生れてから、死ぬまで、信頼すべきものは、親が在るばかりだ。どんな外観の親切も決して、内心の真実は示しているものではない。用心をし、用心をおしよ、正隆、用心をおしよ。
母未亡人の記憶に、今もなお鮮やかに遺されている亡父が、永年枢要な地方官として経て来た生活の中には、どんな迫害が伏せられていたか、どんな、難関が、つき纏ったか。それ等は、悉く、限りある個人の力などでは予防することも何も出来ないほど、多量であり、複雑であったという、母未亡人の説明を事実とすれば、どれほど大胆な人間をも、なお脅かすに充分なだけ、悪の微妙な筋書《プロット》を持っていた。
気の勝った未亡人は、自制を失った興奮に燃え立ちながら、激しい、容赦のない口調で、正隆の心を、ビシビシと鞭うった。彼女は、持ち前の癖を出して、正隆がどれほど不安な眼差しをしようが、憐みを乞うような溜息を吐こうが頓着なく、彼女の暗い、凄い解剖をしつづけて行ったのである。
「だから、お前、昔から、人を見たら泥棒と思えとさえ云っているじゃあないか。世の中へ出て御覧、ほんとに油断は大敵ですよ。お亡くなりになったお父様なんかも、まるで蜘蛛の巣見たような奸策許りには、どんなに御難儀なすったか分ったものじゃない。ね、正隆、私はお前さんの行末を案じるばかりに、こんな心配までしているのですよ。お分りだろう、だから、ね、何でも気を許さずに、怕《こわ》い人になっていなければいけませんよ。人間というものは妙なもんで、一度人に馬鹿にされたとなると、もう決して、二度と頭の上りっこがないのだからね、正隆――」
そう云いながら、今まで確りしていた未亡人の声は、俄に顫《ふるえ》を帯びた。
「ほんとにね。どうぞ仕合わせになれますように。私だって、もうそういつまでも、お前の世話はして上げられないのだからね、しっかりしておくれ、私がいなくならないうちに、せめて足場だけでも拵えておくれ、たのみますよ」
急に、仏壇の方へ振向いた未亡人は、最後の一句
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