秋霧
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)好《す》いて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)無限[#「無限」に「ママ」の注記]のさかえに引き入れられる。
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 一面、かなり深い秋霧が降りて水を流した様なゆるい傾斜のトタン屋根に星がまたたく。
 隣の家の塀内にある桜の並木が、霧と光線の工合で、花時分の通りの美くしい形に見える。
 白いサヤサヤと私が通ると左右に分れる音の聞える様な霧に包まれた静かな景色は、熱い頬や頭を快くひやして行く。
 霞が深く掛った姿はまだはっきり覚えて居るほど新らしい時に見た事はないが秋霧の何とも云えない物静かな姿は霞の美くしさに劣るまい。
 霞は人の心を引きくるめて沙婆のまんなかへつれて来る。霧は禁慾的な、隠遁的な気分に満ちて居る。
 私は今の処は霧の方を好《す》いて居る。
 冷静な頭に折々はなりたいと思うからだ。
 霧の立ちこめた中に只一人立って、足元にのびて居る自分の影を見つめ耳敏く木の葉に霧のふれる響と落葉する声を聞いて居ると自《おのず》と心が澄んで或る無限[#「無限」に「ママ」の注記]の
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