るんだ」
「強情張るにも程がある。ほら、ほら! そんなにあるのに無いって私をだますのか、ほら、ほら! ああ、蓮だらけだよう!」
と、彼女はおいおい泣いて亭主にかじりついた。――これが気違いになり始めだと云う噂であった。村へ帰って来ても発狂は治らなかった。然し、何かひどく工合よい機械のように、毎年毎年、年児に女や男の児を産みつづけた。村の人は愕いて居心地わるく感じていた。然し亭主がいて、皆其一隊を養っている以上別に云う程のことはない。――
 村の在郷軍人で、消防の小頭をし、同時に青年団の役員をつとめている仙二が心を悩ましていたのは、お園のことや、近く迫っている役員改選期のことではなかった。沢や婆さんのことであった。
 何故、この白髪蓬々の、膝からじかに大きな瞼に袋の下った顔がくっついているように見える程腰の曲った婆さんが、姓も名も呼ばれず、沢やという屋号で呼ばれているのか? 亭主はあったのか? なかったのか? 何か沢やらしい商売でもしていたのか? つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんと略《ほぼ》同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の
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