隊」で、この作者は極端な形で観念と現実との熔接術を試みた。そして観念は人間の生存本能の中に吸収されてしまうという理解に辿りついたのであったが、「結婚の生態」では、この社会の世俗の通念でいい生活と思われている小市民風な生活設計を守るために、本能も馴致されなければならないものとされ、そのために文学がつかわれることとなった。文学がその作家の文学的性格の強靭さの故によるというよりは寧ろ、世間を渡る肺活量の大きさで物をいうという現象は、文化と文学のこととして何と解釈され、何と反省されなければならないことであるのだろうか。
文学に人間を再生させようという地味だが本質的な要求は、次第に明確に作家たちの間に湧きおこった。短篇小説の再評価の問題もその要求に連関するものとして、考えられると思う。短篇小説が私小説の系統に立って、作者の身辺些事の描写や、狭く小さく纏った雰囲気、心境をその世界として来ていたということに対して、嘗ての不満は表明された。現代の日々は、そういう独善の文学的境地というものの成り立ちを不可能にしている。文学はもっと社会的にその世界をひろげ豊かにしなければならないという要求から、長篇や社
前へ
次へ
全73ページ中68ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング