坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した為に僕の家の売れないことを苦にした。従って別荘の一つももっているブルジョアたちに羨ましさを感じた。」と云う切実な告白と共に、作家の心を撃ったものであった。少くとも芥川龍之介の死は、当時耳に残って消えない文学上の弔鐘の一うちであった。
時代の明暗は、この同じ昭和二年に蔵原惟人の「批評の客観的基準」という論文を送り出している。これより先、印象批評に対して、「外在批評」ということが云われており、そのことでも、主張されるところは、文学の評価に何らかの客観的なよりどころを求めるものであったが、蔵原は、ぼんやり客観的と云われていた基準に社会的な内容附けを行った。プレハーノフの有名な論文集『二十年間』の序文に基いて、芸術作品の批評にあたって第一にはその作品の中に如何なる方面の社会或は階級の意識が表現されているかを見るべきであるとして「文学的作品の観念を芸術の言葉から社会学の言葉に翻訳し、その文学的現象の社会的等価とも云うべきものを発見することにある。」と説いた。また、文学のもつ社会的な役割ということも云われた。芸術的完成
前へ
次へ
全73ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング