如意を都会人らしい体裁で取りつくろいながら生きている人々の間で育ち、大学時代から現実生活の問題を常に念頭に置いていなければならなかった青年時代の芥川龍之介。自身の上に濃く投げかけられている封建的なもの、それによって受けているものは損害の外にないことを知りながら、野暮にそれと正面衝突は気質的に出来ず、あらゆる反撥を知的な優越と芸術への献身に打込もうとしていた彼の文学的発足が、「鼻」「芋粥」「羅生門」のようなものであったことも考えさせるものを持っている。「侏儒の言葉」の中で「どうか勇ましい英雄にして下さいますな。」「わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬように――英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守り下さいまし」と云う一面、ゲーテ、シェイクスピア、ニーチェ、あらゆる古今の天才に倣わんとするものであると云わせる彼の天才主義は、彼自身そこから超脱した生活は有り得ないことを明言している時代と歴史の歯車の間で、どのような自身の帰結を可能としていたろうか。
有島武郎とまたちがった意味で時代の苦痛に身を曝した芥川龍之介の死は、その遺書の中に、「僕の遺産は百
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