必然な結果のあらわれであったといえよう。報告文学がそのものとして独自の人間記録の価値をもって文学を豊かならしめ得るためには、一方に文学の各ジャンルの方法が芸術の自主性において確立されていなければならない。当時のように、文学全体が帰趨を失い自主的な対象と方法とを見失っていたような時期、そこにある現実の特殊さへの関心と、政論的な作家の行動性から報告文学へとりつかれたとしても、そこに文学として得るものが多くなかったのは、現実の必然の結果であったと云えると思われる。
翌十三年八月になって『改造』に発表された火野葦平の「麦と兵隊」は、これまで現れた作家の報告文学とは全く異った戦場からの身をもっての経験の報告として一般に甚大な感銘を与えたものであった。この作家は、他の何人かの作家と共に応召して戦野に赴いた一人であり、応召までの文学的経験もあって、その「糞尿譚」は文芸春秋社の芥川賞に当選した。「糞尿譚」は糞尿汲取の利権をめぐる地方の小都市の政党的軋轢を題材として、文章の性格は説話体であり、石坂洋次郎などの文章の肉体と相通じた一種のねっとりとした線の太さ、グロテスクな味いを持ったものであった。題材は
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