という中枢の人物は、本質的には作者と共にその転落の過程の報告者としての存在をもつに過ぎない。
山本有三の「真実一路」もやはり真摯に生きてゆく意図は自覚されながらその具体的な見透しとしての方向や方法がはっきりしないで、目前の事象と必要との中に一生懸命な自分を打込むという姿で主題は途切らされている作品である。人生的な態度をもった作家として五、六年前には「女の一生」をおくり出すことが出来たこの人が、当時の「真実一路」に於ては、真実が主人公の素朴な主観の内にだけ感じられるものとしてしか描き出せなかったということは、やはり当時の社会的雰囲気と謂うところのヒューマニズムの無力とを語っていると思われる。
ごくあらましな以上の観察によっても昭和十年、十一年頃に於ける文学が面していた矛盾困難と混乱の有様は十分理解することが出来る。
広津和郎がこの時代的な文学の紛糾摸索に対して「散文精神」を唱えたことも興味がある。「新しい散文精神は現実当面の問題――アンティ文化の嵐に直面して(中略)よくも悪くも結論を急がずに、じっと忍耐しながら対象を分析してゆく精神(中略)結論を急がぬ探究精神こそ」現代作家にとって
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