何より必要なことではないのかというのがこの散文精神の骨子である。武田麟太郎が市井の現実にまびれることを新しい人間性発見への小路としたのとは異って、広津和郎のこの思想は、いわば前者が現実にまびれゆくという自身の意図に我から壮とする身振りをもじっと眺めてゆこうとする態度である。けれども、この結論を急がぬ探究精神が、社会と文学の現実に於て何かであり得るためには、現実の諸矛盾に「耐えてゆく非常に強い気力」が必要とされるばかりではなく、突入してゆく当面の現実に対してある評価判断の拠りどころが明確に持たれていなければならないだろう。自然主義的な「散文的」現実反映とこの散文精神の相違は、後者があくまでも社会現実に向って主動的なダイナミックな本質でなければならないことが唱えられた。しかしなおこの散文精神の提唱もその真の動性を可能ならせる内的な力を明かにし得ていなかったことは見逃し得ない点であろうと考えられる。
 さてかようにしてヒューマニズムの声は、当時の日本の文学を一定の文芸思潮としてのその力でより高めより健やかにしてゆくというよりも、むしろ文芸思潮の失われた後の文学界の錯雑した諸傾向それぞれに、人
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