ったと同じ理由で、人間像をそれなりの現実で再現する力を失って、現実の物語り方に独自な主観の色調を主張しようとしたところも、頽廃のうちにヒューマニズムを打ちたてるというよりは、むしろヒューマニズムの頽廃の一つの型ではなかろうか。なぜならヒューマニズムは古来、つねにより広い人間性の客観的な共感に拠り立っているものであるのだから。
石坂洋次郎の「若い人」、「麦死なず」等の迎えられた時代的な性格も面白い。江波恵子という特異な少女がその少女期を脱しようとする奔放な生命の発動に絡んで、間崎という教師、橋本先生という女教師等が、地方の一ミッション・スクールと地方的な文化を背景として渦巻く姿を描いた「若い人」が、多くの読者を惹きつけた原因の第一は、作者のエロティシズムと地方的な色の濃い描写とで描き出された江波という若い娘の矛盾錯綜してゆくところを知らない行動と情感が、ある意味で、所謂人間性の無制約な肯定として現れている当時のヒューマニズムの傾向に相通じる一脈をもっていたからであったと思う。「麦死なず」にしろこの「若い人」にしろ、作品の世界は、その中の主人公たちが常識と一種の卑俗さによって敗北している
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