坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した為に僕の家の売れないことを苦にした。従って別荘の一つももっているブルジョアたちに羨ましさを感じた。」と云う切実な告白と共に、作家の心を撃ったものであった。少くとも芥川龍之介の死は、当時耳に残って消えない文学上の弔鐘の一うちであった。
 時代の明暗は、この同じ昭和二年に蔵原惟人の「批評の客観的基準」という論文を送り出している。これより先、印象批評に対して、「外在批評」ということが云われており、そのことでも、主張されるところは、文学の評価に何らかの客観的なよりどころを求めるものであったが、蔵原は、ぼんやり客観的と云われていた基準に社会的な内容附けを行った。プレハーノフの有名な論文集『二十年間』の序文に基いて、芸術作品の批評にあたって第一にはその作品の中に如何なる方面の社会或は階級の意識が表現されているかを見るべきであるとして「文学的作品の観念を芸術の言葉から社会学の言葉に翻訳し、その文学的現象の社会的等価とも云うべきものを発見することにある。」と説いた。また、文学のもつ社会的な役割ということも云われた。芸術的完成、生き生きとした芸術的形象というものは、その作品が芸術的感銘を与えるために必須な条件と見られてはいるが、翌年この理論の発展として云われた新しいリアリズムの提議では、新しいリアリズムの本質を十九世紀以降の個人主義に立つリアリズムと異った社会的主観に立つべきものと規定した。そして、「現実に対する態度はあくまでも客観的現実的でなければならない。」「現実をわれわれの主観によって歪めたり、粉飾したりすることではなくて、われわれの主観――階級的主観に相応するものを現実の中に発見するのが」新しいリアリズムの態度であるとされた。
 当時のこの芸術価値のきめ方を今日顧れば、「文学的作品の観念を芸術の言葉から社会学の言葉に翻訳し、その文学的現象の社会的等価とも言うべきものを発見することにある」という規定そのものに明らかな誤りが含まれている。この規定によって文学が芸術品としてそれ自身持っている独特な機能が抹殺されており、芸術的感銘の必須な条件として求められている芸術性というものも、科学が科学性を持たなければ科学でないと同様に自明なことという範囲の解釈に止った。芸術性というものは、文学史のあらゆる時代を通して
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