通りに、作者の根強い常識によって人間性の把握はどたんばで通俗に落ちこんでいるのが特徴である。
尾崎士郎の「人生劇場」がこの作者としてのある達成を示しつつ作品にもられている人間情感の性質に於ては古い日本の人情の世界に止まっていることも思いあわされる。高見順と共に新人として登場した丹羽文雄の作品などもその世界に生きる人間群の現実的な生活のモティーヴだの動向だのという面からの観察は研ぎ込まれていず、人物の自然発生な方向と調子に従って、ひたすらその路一筋を辿りつめる肉体と精神の動きが跡づけられている。傍目もふらぬそれぞれの人間と事象との在りようを、作者がまた傍目もふらず跟《つ》いて行く、その熱中の後姿に、文学に於ける人間再生の熱意、ヒューメンなものが認められるという工合でもあった。
知性の作家と呼ばれた阿部知二がこの時期に発表した「冬の宿」も、この点でいかにも時代的な所産であった。作品の中で人間性の濃度を高めるためにこの作者は意企的に異常性格を持った嘉門とその妻松子、娘息子をとり来って、殆どグロテスクな転落の絵図をくりひろげたが、この作品の世界に対して作者は責任を感じていず、登場している私という中枢の人物は、本質的には作者と共にその転落の過程の報告者としての存在をもつに過ぎない。
山本有三の「真実一路」もやはり真摯に生きてゆく意図は自覚されながらその具体的な見透しとしての方向や方法がはっきりしないで、目前の事象と必要との中に一生懸命な自分を打込むという姿で主題は途切らされている作品である。人生的な態度をもった作家として五、六年前には「女の一生」をおくり出すことが出来たこの人が、当時の「真実一路」に於ては、真実が主人公の素朴な主観の内にだけ感じられるものとしてしか描き出せなかったということは、やはり当時の社会的雰囲気と謂うところのヒューマニズムの無力とを語っていると思われる。
ごくあらましな以上の観察によっても昭和十年、十一年頃に於ける文学が面していた矛盾困難と混乱の有様は十分理解することが出来る。
広津和郎がこの時代的な文学の紛糾摸索に対して「散文精神」を唱えたことも興味がある。「新しい散文精神は現実当面の問題――アンティ文化の嵐に直面して(中略)よくも悪くも結論を急がずに、じっと忍耐しながら対象を分析してゆく精神(中略)結論を急がぬ探究精神こそ」現代作家にとって
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