の対象としてではない面から描こうとされたところに、単なる通俗性への屈伏以外のものがある。「田園の憂鬱」の作者佐藤春夫の「心驕れる女」という連載物に登場する人物にさえ時代の空気が流れ入っていることは、一つの例に過ぎず、当時は通俗小説の中にさえも新しさの象徴として時代的な青年男女の動き、心持ち、理論などと云うものがさまざまに歪曲されながら装飾として或はあや[#「あや」に傍点]として取り入れられたのであった。
この間にも新しい見地に立っての芸術価値評価やその創作方法に対しての反撥は決して消されなかった。「新感覚派」は既に文学上のグループとして解体していたが、昭和五年に出来た十三人倶楽部による「新興芸術派」の運動は、中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。中村武羅夫の論文がこの運動をまとめるきっかけとなったことは興味がある。自然主義の系統から出発して、雑誌『新潮』によりながら、作品活動としては大衆作家として存在しているこの人が、文学の芸術性、その至上性というものについての論議に触れると常にピューリタン的な擁護者として立ち現れることは、一つの芸術の分野ならでは見られない現象であろう。「新興芸術派」の主張するところは、文学についての新しい社会的な理解が持ち来している、作品の世界観の問題、社会的効用の問題、形式が内容に対して従属的なもののように見られている点等を非難して、それらの束縛、圧迫から解放された新興の芸術派をうち立てようとするところにあった。しかし、そのような新興の芸術として、どのような解釈の芸術性が見透されていたかと云えば、そこには同人達にとっても一口に説明し得るような一貫した新見解はなかった。往年の「新感覚派」はフランスやドイツの大戦後の芸術流派の影響の下に、表現の上にも横光利一の当時の作品のようにともかく奇抜であることだけは誰の眼にも明らかな試みをもったが、時を隔てて今現れた「新興芸術派」は大体の傾向として当然都会的なモダーニズムに立ったが、同人たちの作品の現実は、彼らによって否定された「新自然主義的なプロレタリア・リアリズム」を覆すだけの力を持
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