山飼ったことがある。ろくに見もしないうちに、その一時の物好きが止んだので、私が自分の家の中に、こんな小鳥を持ったのは、真に久しぶりのことなのであった。
 出て行って、水浴びの出来そうな鉢を買ったり、巣を買ったり、楽しく世話をやいた。名が急には覚えられないので名刺のうらに書きつけた名札を籠の隅に貼り、良人の注意が主で、今日まで家族の一員となっているのである。
 年が更った今いるのは、多く代がわりになった。
 或るものは死に、或るものにはふいとしたことから逃げられ、新らしいのが来た。いろいろ慾が出、綺麗なのが欲しかったり、強がりのが憎らしかったりするうちに、小鳥の性格も感じられるような気がして来た。
 人間にも、顔の異るように性格の差異がある。小鳥も羽色の異う以上それの無いことはないであろう。あるものと仮定して、私の観察は意味を生ずる。
 人間の日常生活が、男といい、女という性の異いに有形無形、どれほどの影響を受けているか、やかましい理窟も云わず、手を一つ上にあげても判ることと思う。小鳥の世界にもその異いは随分あるらしい。
 曾て何かの時に買った雛子《ひよこ》の玩具があった。いつも本棚の隅
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