ございましたがね、どうしたんだかまだ帰って来ないもんですから……」
「かあさん。一寸」
 細君の言葉で、ろくがそこには五分もいないで出たのが分った。
 いしは、荒物屋で買物までして戻ったが、ろくは帰っていなかった。
「……妙だな。廻るったって廻るようなところもここにゃあるまいが……」
「何処へか行っちゃったんじゃあないでしょうか」
 いしは、濡れた足を板の間で拭き拭き、
「本当にさ!」
と捨鉢に苦笑いした。
「お嫁の口を世話してくんないって、憤って行っちゃったのかも知んないよ」
 下駄の音がする度に、皆がひとりでに店から往来の方を見た。――九時になり、十時になった。雨も歇んだ。
 ろくが、相変らずのたりのたりとした様子で帰って来たのは、かれこれ十一時という時刻であった。それもよいが、翌日になって、思いがけないことが知れた。ろくは、昨日山科からのかえり、途で見も知らぬ一人の土方に出会った。どっちが先に挨拶したか、それこそ道傍の草しか知らないが、土方はろくに、女房にしてやるから来いと云った。ろくは、それなりその男とあの時分までいて来たのであった。土方は別れるとき、また明日も来いと云った。正
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