ていよう。
「軍服」は、何年ごろの、軍隊経験であったかということを作者は、はっきり書いていない。小さいことのようだが、これはこの作品の真実性のために大切である。もうすこしあとになってからの軍隊は、「軍服」よりもっとえらいところになったのだから。何年のこと、がはっきり示されると、日本じゅうのどっさりの読者の心に、俺の時代はこうだったと自分たちの軍隊生活の経験、野戦での経験が思い出されて来て、作品はいっそう感動をもってよまれる。同時に、どこかでまた、ああ小沢の時代はこうだったか、自分らはこんな思いをしたのだ、と、何か一つ書いてみたい心をめざまされる人もあるだろう。小説は、決して書かれて読まれるだけのものではない。生きているものである。読者に、何心なく、あるいは夢中ですぎた人生の一部をまた生き直させそのことで現実をよりゆたかに正確にその人のうちに構成するものである。
「町工場」という小説は、たとえていえば板塀にある節穴から、街頭をのぞいているようなもので、小さい穴からでも目の前を動いてゆく光景のうつりかわりはよく見えた。そういうなだらかさ、癖のないというだけのきりこみでは「軍服」の軍隊生活と
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