それは、俺が困るという調子ではあったが、乙女は祖父ちゃんのこれは大きい発展であると感じた。
「んだからさ、祖父ちゃん、いつかみたよなこと云うもんでないてよ、ねエ」
 一ヵ月ばかり前、勉が着ていた冬外套を乾したとき、ぼろぼろになっているのを貞之助がひっくりかえして見、
「――男が、三十近くんもなって、東京さいて、こげえなもん着て歩かねばなんねえとは――甲斐性がね」
と云い、乙女が思わずかっとなって諍《あらそ》った。そのことを云っているのであった。
 祖父ちゃんは、しとしと雨のふっている外へ向ってゆっくり煙草の煙をはきながら、黙って膝をゆすった。
 乙女は間もなくからみつくミツ子を祖母ちゃんにだまさせながら着換えに立った。帯を結ぶ間も、大きい雨洋傘《あまがさ》を背広の小柄な体の上にさし、口を結び、こつこつと歩いて行く勉の姿が乙女に見えるような心地であった。



底本:「宮本百合子全集 第四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第四巻」河出書房
   1951(昭和26)年12
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