いたい。次いで、ミツ子がどんなにまきの手をふさぎ、そのために「おやき」の商売も減って来たかということを、勇の筆跡で細々《こまごま》くどいてよこした。勉夫婦は、自分達が金を送れないことについて深く気の毒に思った。だが、今川焼の売り上げがだんだん減るということを、一概にミツ子の厄介の故とばかりきめて小言を云って来ている親父の考えの狭さに勉はいやな感情をもった。十七になる次男坊の勇が、親父の云うまま、一行も自分の文句を加えずそのくどくどした手紙を書いてよこした気持をも、勉は少年時代から家を見た自身の経験から見落していなかった。A市は東北飢饉地方にまきこまれていた。戦争になってからこの地方一帯の農家の困りかたは甚しかった。暮に、若者を兵隊に出した家のおっかあ連がかたまって戦地からかえせと押しかけたような事件もあった。川風が凍みるからと云って、焼き立ての「おやき」の熱いところを懐へ入れ、それを喰い喰い夜遊びから帰る若者が減るのは当然のことであった。そんな小銭がつかえる者は「おやき」をやめて、ワンタン屋の屋台に入った。
勉は、真面目にそういう世の中の有様を説明し、自分たちの生活の窮迫の原因をも、そういうものとして貞之助の納得のゆくように書き、わきに、この手紙は勇にも必ず読ますようにと書き添えたのであった。
程経って来た貞之助の手紙は、そういう勉の努力が全く無駄であることを示した。貞之助は鈍重な狡《ずる》さを働かせ、暮しの行詰りの全責任をこの機会に長男である勉の肩にうつしてしまおうと、孫のミツ子をかせにつかいはじめたのであった。その時、勉は体にあわせてひどく大きい口元をパフパフというように動かし、乙女を鋭い視線で見て、
「俺は十八まで散髪に行ったこともなければ、猿又を買ってはいたことだってなかったんだ!」
と云った。好きな本を買う銭をとるために、勉は郵便局がひけてから、夜、繩工場へ通ったのであった。同じ繩工場へおふくろのまきも通った。そして、勉の髪を刈るバリカンと猿又を縫う布とを買い、末娘のひ弱いアヤの薬代を払った。
勉は、そのおやじの手紙は焼いてしまった。何かで家をかきまわされたとき、そんな手紙が出、それを口実に運動をやめろなどと云われたら癪《しゃく》である。彼はそう思ったのであった。
乙女は勉の憤る心持を同感したが、大きく二重瞼の眼を見開いて中耳炎以来変に髪が薄くなっ
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