障子、風呂場、台所の手入れに、大工をつれたり、自分で来たりして、助けて呉れたのである。自分は、掃除には一度も来られなかった。二十日以後から体の工合が悪く、熱を出して床について居た。炎天を、神経質になって家探しや買物に歩き廻ったため、疲労で弱ってしまったのである。
 引越しの日は、晴れて暑い残暑の太陽が、広い駒込の通りを、かっと照して居た。
 午前中本箱や夜具、トランク類を、石井の荷物自動車にのせ、英男が面白がって後につかまって送って行った。大工、善さん、おまつ等がAに手伝い、略《ほぼ》、片がついたと思う頃、自分は俥で出かけた。
 始めて出来た自分等の家に行くのだけれども、母上に
「左様なら」
と云う心持にはなれない。改ったことを云うと、今にも涙がこぼれそうに感じ、二階に居られる処へ行って軽く
「行って参ります」
と云い、何も返事を得ない先に、いそいで玄関から俥に乗った。
 始め、此家が今に空くのだそうだ、と云うので、赤門前の男から知らされ、まだ、人が住んで居た時分、或夜、見に来た事があった。
 勿論中へは入れない。崖の上の狭い平地の隅から、低い板塀越しに、中をちらりと覗いた丈であった。
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