要心のことも考えなければならない。
貸家住いと云うことを知らず、家のないなどと云うことが、いつ当面の困難となるか思いもしなかった自分は、憤ろしいほど苦痛を受けた。
一家の中で、他の誰も同様の熱心を示して呉れず、二人きりで焦慮し、新らしい生活の準備をしようとする心持は、何と云ったらよかろう。お祭りのように所謂お嫁に行った者は、一生経っても、此我等二人、と云う、深い淋しい身の緊る感銘は受け得ないだろう。Aは、国から五百円都合して貰った。其金と、自分等の書籍と、僅かな粗末な家具が新生涯の首途に伴う全財産なのである。
兎に角、いくら探しても適当な家がないので、仕方なく、まだ人の定らない、十番地の家にすることに決定して仕舞った。
敷金と、証文とをやり、八畳、六畳、三畳、三畳、台所、風呂場、其に十三四坪の小庭とが、我が家となったのである。
八月の二十八日から九月三日まで、Aは毎朝早くから、善さんと、新らしい家の掃除に出かけた。善さんと云うのは、出入りの請負の下働で、当時、H町で、隠居所を建てて居た為、彼は毎日顔を見せた。少し耳の遠い出歯の、正直な男で、子供の居た先住の人が住み荒した廊下、
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