を感謝し得るだろう。
九月三日に引移って以来、今日(一九二一年十一月二十三日)まで、具体的に小さい変化が我々の巣にほどこされた。
去年の十月、Aが、中央公論に、オムマ・ハヤムの訳詩、並に伝を載せて、貰った金の一部で、三本の槇、一本の沈丁花、二本可なり大きい檜葉とを買った。二本の槇は、格子の左右に植え、檜葉は、六畳の縁先に、沈丁、他の一本の槇などは、庭に風情を添えるために、程よく植えた。
庭木は、今年になって、又一本、柔かい、よく草花とあしらう常緑木の一種を殖し、今では、狭い乍ら、可愛ゆい我等の小庭になった。
夏福井から持って来た蘭もある、苔も美しく保たれて居る。あの赤ちゃけて、きたなかった庭は、もう何処にも思い出されない。
家具の新らしいものは、植木よりは少い。大きい海鼠焼の火鉢、風呂桶。今年のお盆に、母上がお金を下さり、重宝な箪笥とワードローブを買った。
目下、H町とAとの間にこだわりのある外、生活は滞りなく運行して居ると云ってよいだろう。
Aは健康で、女子学習院、明治、慶応に教え、岩波書店から、彼の最初の著述、「ペルシア文学史考」が出版されそうになって居る。
自分は
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