ういういしく漲るエネルギーによって人間生活のありかたが改めて知覚され、探究され必ず何かの新しい可能もそこに芽生えていて、社会のうちに行為されてゆく。このことは、限りなく美しく、厳粛な事実だと思う。言葉を加えて云えば、わたしたちが二度とこの世に生きることはないものだという事実に人類のたゆみない進歩が暗示されており、青春――人間誕生の意義がひそめられている。
少くとも、この本に集められた小さい婦人たちの発言の特色は、彼女たちの存在が急速に、そして主体的に社会的になって来ている点だと云えると思う。だが、わたしには疑問もおこった。「私達は太陽だ」などは、こんにちの社会現象のあれこれを追究して、より多くのものがより民主的に、合理的に生活することのできる社会を求めるものの立場として、批判している。それは、感想というよりももっと資本主義の社会矛盾に肉迫した観察であり、価値づけである。わたしがそれを読み終って思うことは、このように熱心に具体的に社会現象についての意見を書いている十七歳のひとは、この具体的でつっこんだ社会観察の眼を、自分の学問の日常生活、そこではもとから行われていた共学のありかた、教師と生徒との関係などに、どのように向けていたのだろう、という疑問であった。更に、家庭の社会的なあり場所とそのなかでの娘としての自身を、どう見出しているのだろうか、と。
社会への自覚というものは、外の現象だけ向けられるものではないのだから、わたしたち自身のありよう、生きかたが、社会的階級的な存在であり、その現象である。この一冊の本にみちている小さな婦人たち一人一人の欲求、抗議は、自分のものとして自分の中から発しているが、それがもうこんにちの社会のもっている問題そのものであり、その方向で解決されてゆかなければならない本質をもっている。「わたし」というものが、それだけ社会的な内容をもつ存在であるからこそ、その欲求と抗議に客観的で生きた価値がある。
この本は、いろいろな層の読者に与える何ものかをもっているが、ちがった環境とちがった性格の同じ年ごろの若い人たちがよんだら、男にしろ女にしろ、明日に伸びつつあるお互を知り合うために、どんなに有益だろう。ここには円卓会議《ラウンド・テーブル》がある。ここではみんなが自分を率直に表現している。そのことによって、ひと[#「ひと」に傍点]を発見し、それぞれ
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