くて堪らなそうにたみ[#「たみ」に傍点]の手からとり、頬ずりをする。顔を離し)ばあ!(と笑う)
さあ、いいお顔をして頂戴、いいお顔はどんなお顔? ほら、いないいないばあ! ね、父ちゃま、はいはいはい!
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つや子を膝の上に立たせ、笑わせようとする。たみ傍に膝をついて、手を打ちながら笑って見せている。子供は、笑いたそうにしては、また顰《しか》め顔になって泣き出す。
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やす子 まあ、どうしたのだろう(子守に向って)余程前からこんななの?
た み いいえ、それほどでもございません。何だか不意にお泣き出しになって……
やす子 どうしたんでしょうね本当に。
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いろいろやって見る。つや子の機嫌はなおらない。
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一寸、貴方!(良三の背中を呼ぶ)済みませんけれども一寸見てやって下さらないこと?
良 三 (やや面倒くさそうに)おむつだよ。
やす子 そんなことあるもんですか。……取りかえてやってくれたろう?
た み 今一寸前すっかりおなおし致しました。
やす子 それだものね、おむつじゃあないわね。父ちゃま、何でも、おむつでは困りますよっておっしゃい、つやちゃん。
ぱぱぱぱ(つや子の小さい指を、自分の唇に挾んで鳴しながら、あっちこっち丸い体を検べる。ふと右の耳を見ると一緒に、やす子の顔付が変る。あわててつや子を横に抱きなおし、懸命な顔でそこを見る。ぞっとした表情。さっと蒼くなる)まあ、貴方! 大変よつや子の耳が!(震えながら、なおもなおも耳の上に屈《かが》む)
良 三 耳が? どうしたんだ。(ぱっと立って来る)
やす子 耳から血が、これ、こんな、塊《かたま》って出ているのよ。
た み (顔色を変える)ほんとでございますか?(二人の間から覗き込もうとする)
やす子 ほら! 御覧なさい。こんなよ、どうしましょう。(せわしく良三とつや子の顔に眼を走せる)
良 三 (無意識に緊張し、そっと耳の周囲を押して見る、つや子火のついたように泣く)
やす子 (もう真蒼になり、我知らず厳しい声で)たみお前どうもしやしまいね。
た み (おろおろする)まあ奥様!
良 三 まあいいから、早くあの書斎の机から反射鏡を持って来い。銀色の平べったい、ほら知ってるだろう、黒い柄のある。――
た み はい(立つ。後から)
やす子 熱度計りもね、赤いかさ[#「かさ」に傍点]に入ったのよ。
内部《なか》からでしょうか(灯に覗くようにする)外に傷はないわね。
良 三 (自らなる不安、頭を重ねてやす子と同じ処を見るようにする)どうしたのかな、変だね、急にこんな出血をするなんて、まだ新らしく出て来るかい?
やす子 そうでもなさそうですわ。
良 三 (頭をつや子から離し)今迄どうもありあしなかったんだろうね。
やす子 (憤然とする)そんな不注意だと思っていらっしゃるの? さっきまで平常《ふだん》の通りだったんですわ……(まるで異った、苦しげな涙のつまった声。一語一語力を入れて)貴方……だいじょうぶ?
良 三 何が?
やす子 何がって(睨《にら》むように顔を見合わせる)定《きま》ってるじゃあないの、若し……若し(泣き出す。急につや子を強く抱きしめ)可哀そうにね、つやちゃん、早くよくなって頂戴! ほんとにかあさんが願うことよ。堪らないわ、私。――痛いの? え? 痛むの?
良 三 (真剣になって来る)痛いから泣くのさ。
とにかく、大切なお前からそう上気《のぼ》せあがっては駄目だよ、確《しっ》かりしろ確《しっか》り!
ほい、ほい、つや子、つや子。(あやしながら職業的な落付を失わずに脈を数える)ふむ。
た み (殆ど馳けて二品を持って来る)はい。
良 三 (反射鏡で耳の内部を照して見る。息を潜めた周囲の沈黙。無言の裡に自分の位置を変えたり、つや子の頭を動したりした後)見えないね一向。中が汚れているせいだろう。
やす子 (急に良三をせき立てる)仕様がないわね。貴方で駄目なら、どうぞ早く横田さんにお掛けになって頂戴よ。熱を計って見ますから。ね?
良 三 そうしよう。(行きかける)
やす子 (後から)頭でも冷してやらないで大丈夫でしょうか。
良 三 (廊下へ踏み出しながら)まあともかく聞いて見よう。(去る)
やす子 (身も世もあられない様子で、泣きじゃくるつや子の顔を見つめる。涙がひとりでに頬を落ちる。強いてはっきりした声で、その方は向かずに)たみ、ぱいぱいさんを持って来て御覧。
た み はい。空《から》ぱいでよろしゅうございますか?
やす子 ああ。早く。
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たみ、急いで茶箪笥のガラス器の中からゴムの乳首を出して来る。
やす子、片手でこれをつや子にあてがったまま耳を澄ます、ベルの音。話声がはっきり聞
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