な気分でも、と、輸入映画のひもじい複製でなぐさめているのであろうか。
 私たちが今日を生きている感情は非常に複雑である。混乱も幻滅も空腹は勿論、一時的な希望の喪失さえあるかもしれない。それをまぎらそうとする気分の追求の一つとしてエロティックなものへひかれる気もちもあるだろう。しかし、そのような気分が心理の一面に或る程度あるにしろそれが私たちの全貌であろうか。況んや、私たちの生存を貫く建設能力、人間らしく生きる才能の核心であり、その推進の力であり得るだろうか。俗悪出版企業者は、現代の心理の一面を、誇張し、煽情し、刺戟して、一銭でもより多く投じさせようとする。営利映画会社では、より濃厚な情痴の場面を、と先をあらそっている。
 次第に覚醒している日本の民衆が肚の底からそのためにたたかっているより明るい確かな社会生活建設の願いと努力、その間には裏切られ、又もりかえす民衆の歴史の熱意は「横になった令嬢」と何のかかわりがあるだろう。中国の民衆を愚昧無気力にしておくために関東軍は阿片を売った。民主日本の航路から大衆の精悍さを虚脱させるために空腹時のエロティシズムは特効がある。文学における大衆性の本質
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