傷だらけの足
――ふたたび純潔について――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)露通《るつう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)キリスト教会的[#「教会的」に傍点]偏見に対して、
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こんにち、わたしたちがふたたび純潔ということについて語るとすれば、それは、どんな新しい人間精神の欲求からのことだろう。
わたしたちの生活の下で、ある種の言葉は、この半世紀の間に、全く水火をくぐって、傷だらけにされて来た。たとえば愛という言葉。正義という言葉。そして純潔という言葉もその仲間にはいる。
ヨーロッパの社会では第一次大戦のころ(一九一四―一八)から純潔に対する観念はすべての市民の日常生活の中で、はげしい試練をうけはじめた。イギリスはそれまで豊かだった中流層の経済力とともに安定していた清教徒風な、モラルのよりどころであった「純潔」の再検討によって。フランスはカソッリク的な純潔の現実的な定義に関して。
ゴールスワアジーの小説に「聖者の道行」という小説がある。第一次大戦の前後に書かれた作品で、イギリスの人たちが、十九世紀からもちつづけて来た家庭、結婚についての形式的な習慣に、新しく深いヒューマニティーの光を射こんだ作品であった。保守的な宗教家として正統的なものの考えかたをしている老牧師の娘である女主人公が、かねて愛しあっていた青年と、彼の出征の前夜、自分たちの結婚をする。若い二人は、その異常な別れの夜に、互の愛を互のうちに与えあわずにいられない熱情につき動かされたのであった。青年は戦死した。その娘は母となる。教会で結婚の儀式をあげる機会をもてずに、愛しあっていた男女が結合し、親となったということだけのために、若い母親は周囲の人たちのしつこい侮蔑と中傷とにさらされなければならなくなった。父である牧師は、自分の教会と牧師である自身の体面が全教区の前に傷つけられたということばかりを心痛している。娘に対して最も寛容でないのは、神の召使いである父親であった。
ある日、不幸な女主人公は、小さい赤ン坊をつれて動物園へ行っていた。そこで、偶然彼女の知り合いである同じ年ごろの女性とその愛人とに出会った。友達である女は、愛人に向って、自分たちの幸福を誇るように、軽蔑をもって女主人公に結婚しないで母親になった行為を批評するけれども、愛人である青年のうけた感銘は、彼の恋人が彼の上に印象づけようとした効果とは反対のものであった。全く予期しなかった対照と比較が、二人の女性を見る青年の判断に生じることとなった。その青年は、華やかな恋人とわかれる。彼は赤ン坊をもっている女主人公のうちに、よりまじりけない人間性を感じて彼女と結婚する気持になったのだった。青年からその申し出をきいて、老牧師は、自分と娘とにとってまことに思いもかけない恥辱からの救い手と、おどろいた。「あなたは、何という聖者だ!」青年は、ひそかな苦々しさをかくして答える。「僕はただ人間であるにすぎません」
ゴールスワアジーらしい穏やかさを湛えながら、ほんとの人間性のきよらかさ、まじりけない行為を圧殺しているイギリスの型にはまったモラル、純潔についての偏見に抗議している。
D・H・ローレンスも、純潔についてのキリスト教会的[#「教会的」に傍点]偏見に対して、生涯たたかいとおした。イギリスの炭礦夫の息子であったローレンスの悲劇は、戦争をふくめて、あらゆる現代社会の矛盾、相剋への抗議を、性の自然的な権利の回復という一点に集中して表現したところにあった。
D・H・ローレンスは、彼を知っているすべての人が語っているとおり、特別柔軟で透視的な感情の持主であった。イギリスの社会は周知のように、階級分化がすすんでいて、その社会独特の、平民的でありながら動かしがたい身分関係とそのしきたりにしばられている。市民としても文学者としてもいわば変り種であるローレンスは、そのようなイギリスの中流、上流社会に対して感じるすべての妥協しにくさを、肉体的な感覚の世界へとけこむことで、宇宙的な生命感の中へ意識をとけこませることで、ヒューマニティーの解放を見出そうとした。
D・H・ローレンスの特殊な文学にあって、さほど重要とみられていないこの要素こそ、わたしたちにとって、見落されてはならない意味をふくんでいる。ローレンスの性を主題とした作品において、とざされている性――彼によればヒューマニティーの核をなす生命力――の解放者として登場してくるのは、いつもそのあいてである女性にくらべると、社会的地位の低い男性である。(チャタレイ夫人に対するメラーズ。)或はヨーロッパ文明にあきた女性に対して、より原始的生物のエネルギーにみちたメキシコ土人の男が出現する。(翼ある蛇)
わたしたちは、ここにD・H・ローレンスという作家の秘密の母斑を見る。彼は、人間性の課題としての性の解放を、上流の男女の冷淡で偽善的な情事や打算のある放恣と、はっきり区別しないではいられなかった。この人生において、単純率直に求めるものを求めて行動し、そこに精神と肉体との分裂をもたない人物。そういう男性をローレンスは性の解放者として登場させている。その意味であいての女より階級的に低い階級に属す男が、性の解放という役割において、優位するのである。
ストリンドベリーは、偽善に対する彼のはげしい憤りと女性の動物性への侮蔑から、下層の男の野性を、征服者として登場させている。(令嬢ユリー)こういう実例は、日本の現実の中にも少くない。しかしローレンスは、人間としての女性をはずかしめる者としてではなく、枯涸と酔生夢死から人間の女として覚醒させる者として、より強壮で、率直な男の性を提出している。
D・H・ローレンスは、一生、自分自身がおちこんでいるいくつかの矛盾からぬけ出すことが出来ずに、苦しんだように見える。ローレンス自身、自分の書くものの中に、全く感覚的な特殊な素質と、イギリス人らしい常識とがまざりあったり、分裂したりしたままであらわれることを、どうにもしようがなかったらしい。そのことは、一九二九年に彼がパリでかいた「チャタレイ夫人の恋人」の序文に、まざまざとあらわれている。序文は、バーナード・ショウの社会主義のように常識的であり、H・G・ウェルズの文化史のように健全であり、もっともである。ローレンスはイギリスの常識のうちで、性に関する知識があまりなおざりにされていることに抗議している。そのために結婚生活における信じることの出来ない性生活の非人間の錯誤や度はずれな少年少女の放縦がある。「男も女も、性の問題を十分に、徹底的に、真摯に、そして健全に考える[#「考える」に傍点]ようになることを望むものである」「十分に満足するまで性的に行動することは出来なくとも、性の問題については明確に考えたい」彼のこの考えは、まことに穏健な常識であるというほかの何でもあり得ない。
だけれども、ローレンスは二十年昔の社会の多くの目から、度はずれな男、秩序を破壊しようとしている人物として見られ、一種のけもののような生活に追われたのは何故であったろう。
思うに、それは、D・H・ローレンスという炭礦夫の息子が、たまたま異常な感受性と表現の才能にめぐまれていて、性の解放を主張し、その解放者である男性を、青年貴族だの、上流資産家の二男などの中に見出さず、自分の生れ育った階級に近いところからつれて来ていることが、一部の人々を不安にしたのだと考えられる。家族の晩餐のためにも礼装に着かえる某々卿にとって、ノックされるのが何より厭な暗い性のドアを、ローレンスはフランネル・シャツを着ている男にノックさせた。因習によって無知にされ、そのかげでは人間性の歪められている性の問題のカーテンを、ゆすぶらせたのであった。
卑俗な多くの人々にとって、ローレンスが卑猥であったなら、もっと堪えやすかったろう。なぜなら、卑猥に人々は馴れている。体面をつくろう偽善、上品ぶって見て見ぬふりは、それらの人々の処世の態度なのだから。しかしローレンスが性について語るとき、彼と彼女とは裸の神々のようにむき出しで、自然がその営みにおいてそうであるように、それ自体充実したコースをたどって、かくしだてがない。そのような公明正大な性のあらわれに対して、おどろかされた人々は、どうとがめていいか分らず、しかもだまっていられない衝動にうごかされる。自分たちに信じられないおおっぴらさ[#「おおっぴらさ」に傍点]で、きまじめさで、フランネル・シャツの男が、自分たち階級におとなしく帰属しているべきはずの女を性の自覚と解放に誘ってゆく。――D・H・ローレンスをしつこく非道徳漢として糺弾したのは、彼と別の社会群に属す男たちの不安と嫉妬であったといえるかもしれない。
D・H・ローレンスは、あらゆる自然現象のうちに、ほとんど神秘主義に近い生命感をうけとった作家であった。自然のすぐれたつくりものである人間が、男も女も、微妙につくられた肉体と精神の作用を傷けることがより少い生存の条件というものを、ローレンスは求めた。彼はそれらを、自分の感覚から出発し、感覚にかえって結論する方法によって求めた。ローレンスは次のように考えた。ほんとうに男と女とが愛しあい、互のうちに、めいめいの存在のよりどころと感じるなかであれば、互の肉体のどの部分もみな尊敬されるべきである。愛を表現する精神の働きばかりでなく、それと全く等しく愛を表現し、生命の調和をつかさどる肉体の機能も、そのまままざりものなしに卑屈なはずかしがりなどない見かたと、扱いかたがされるべきである、と。
この主張によって、ローレンスは、こんにちのわたしたちからみると、いくらか少年ぽいむき[#「むき」に傍点]さで、性に関して医学的な言葉をつかわなかった過去の文学上の習慣、とくにイギリスの習慣に反抗を示した。ローレンスの反抗は、フランスの自然主義の初期、その先駆者ゾラなどが、近代科学の成果、その発見を文学にうけ入れるべきだとして、科学書からの抜萃をそのまま小説へはめこんだ、その試みの精神と通じるところがある。
ローレンスは、一方でそのように勇敢であったが、それならローレンスは、一九二〇年代のヨーロッパ社会の中に営まれている自分の人生というものに対して、つよい確信をもち、闘う力をもっていたかといえば、性格的にそういう作家ではなかった。彼にはいつも不安と嫌悪があった。生きてゆくについての恐怖や不安は何だったのだろうか。世界の歴史が成長したこんにち、わたしたちは、このことのややその本質に迫って、理解する可能を与えられている。彼の生存につきまとう不安と恐怖は、とりも直さず第一次大戦前後のヨーロッパ小市民の時代的な不安であったのだった。ヨーロッパの中産階級はそのころから急速に経済能力の不安を感じはじめていた。特権階級の者は、当時なお強固な基礎を失っていなかったし、労働者階級は失業や賃下げに対して闘って、労働して生きてゆく大衆としての力をもっている。ノッティンガムの礦夫の息子として生れ、教育のあった母のおかげと、自分の努力で大学に学ぶことのできたD・H・ローレンスは、「白孔雀」を処女作として、彼独特の文学の道に立った。彼は、礦区の人々の人生をものがたる作家とはならなかった。「白孔雀」は黒い炭坑の人々の生活の庭に飼われている鳥ではない、文学と教養によって、所謂教養と地位のある人々の生活にふれ、そこにまじわった若い作家ローレンスが発見したのは何だったろう。遂に彼を「不埒な男」とした中流、上流社会の偽善や無知、ばからしい虚偽への反抗であった。D・H・ローレンスは、いつもたった一人の、風の変った、宙ぶらりんな反抗者であるしかなかった。ダンテが巧みにいっている、地獄の中でも辛い地獄は、宙ぶらりんという地獄、と。――
彼の作品のあるものには、現代社会の機構や社会の生産にたずさわる労働大衆の現実について、当時としてもおどろかれる無智と独断が示されている。ローレンスは、自分がその底
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