げしい表現をもっていえば、穢辱そのものに苦しむよりも、穢辱に苦しむ人間性のゆえに苦しんでいるのである。そこに人間がある。苦しむ人間性をまっとうに評価するひとと自分への責任がある。「風にそよぐ葦」に児玉榕子という女性が登場して来る。小説の中の人物は小説中の人物だという考えは、日本のジャーナリズムの奇妙な流行によって変化させられた。小説の中では児玉榕子という名をもって存在している一人の女性の人生態度についての架空会見記(十月号女性改造)を偶然よんだ。
「風にそよぐ葦」は甚だひろくよまれている。戦争に反対し、軍国主義の非人間的だった時期の日本の悲劇を描くとされているのであるけれども、榕子という女性を描いている作者のその意図について疑いをもたされる人は少くないだろうと思う。わたくしとはいわず、あたくしと、はやりどおりにいうこの女性は、どうしてこんなに賢こげな言葉をつらねてすべてまともであるべき問題を、はぐらかし、銀色に光っているとすれば、それは不潔のうちに棲息するなめくじの這い跡のようでなくてはならないのだろう。
榕子として書かれているその女性の話しは、まるでそっくりそのまま「結婚の生態」に
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