して負わせ過ぎないだけの親切な同情が必要であろう。
豆双葉の死
豆双葉金一君が、はるばる九州から上京した三日目に、旅疲れから哀れ果敢《はか》なく六つの命を終ったことは世人をおどろかし又様々の感想を抱かせた。
父親の波多江さんが、愛子を解剖に付したことはこの際極めて有意義であったと思う。金一君の死が世人に与えた教訓は、その解剖の結果親の心得べき科学の知識で裏づけられた。
どちらかと云えば例外なこの事件だけれども、世の父母たちは多くのことを学んだのであった。
交通事故の際
北千住の電車衝突では主に女子供が負傷した。この事故は今日私たちの住む世相人心の或る面を露骨に示した点で特別な意味がある。日本人が誇りとして世界に知られているのは子供を大切にすること、弱い者を助ける芳しい人情ではなかったか。
興亜の精神は我がちの我身専一を男に教えることではなかった筈である。
この頃の交通機関の恐ろしい混雑は、乗り降りの秩序を市民に教えるより先に、腕力、脚力、なにおッの気合を助成した。大いに猛省がいる。女は、自分の息子や良人や兄弟たちに、一台のりおくれても
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