ムからは期待されまいと思う。
 どんな主婦も、その前は娘たちであるのだし、今日の若い娘たちがやがて主婦となるという現実から、今日の日本の学校教育が若い婦人たちにどのような政治的訓練を与えているかを見直される必要があると思う。
 政治の本来は自ら自らを治める力と方法との自覚の謂であろうし、万民翼賛の思想にしろその本質に立つものと思うが、たとえば女子の高等程度の学校で、女生徒たちは昨今何かの自主的な活動に訓練されているのであろうか。
 学校の寄宿舎生の間に、自分たちで組織している物資融通機関のようなものや、輪読会のようなものや、級自治会のようなものはあるのだろうか。自分たちの生活の必要にたって、必要を整理解決してゆく政治の初歩的なそういう習慣が女学校生活の何年間かに養われるということは、将来に意味あることだろうと思う。
 現在ではその間、またさまざま微妙な関係が生じているのではないだろうか。集団の行動を奨励している他の反面では、男や女の学生たちが自分たちで集って何かきめてやるということについて学校当局は神経を過敏に動かすのではないだろうか。
 政治的成長というものは、いってみればそのような
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