後七八年間種々転変しつつ、日本の勤労的な生活にある婦人層の広汎な政治的成長のために尽瘁《じんすい》しつづけた。明治の暁の光の中で半ば生れんとして生れなかった自由民権時代の婦人の社会的覚醒への希望の本質は、むしろこの流れのうちに発展され、うけつがれるべきであったが、日本の社会の歴史の全く独特な襞の深さは、常に歴史のテムポを極度に圧縮し、あらゆる事象の発達の前後の関係に無理を生じさせている実際が、この面についてもいえる。今日までの婦選が一方において中流的な婦人層の政治的な成熟の形となって完成されず哀れや蔕《へた》ぐされて落ちた如く、他方勤労的婦人の生活の声も組織されず、昭和十三年の婦人年表には、母子保護法実施とならんで婦人の坑内労働復活という二つの矛盾した事項が肩をならべて記載されることとなったのである。
日本の歴史に縫いあらわされている婦人のこのような社会力の弱さは、今日の新しい日本の進み出しのあらゆる場面で、種々様々の困難を生じていると思う。女自身の低さに女が苦しんでいるばかりでなく、そのような婦人の低い未訓練な社会的態度というものが、女をそのように導いて来た男の推進にも今や重荷と化
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