出されていた婦選案、廃娼案が昭和八年の議会からは、提出されなくなった。これは日本のどのような施政の方針変化を示す事実なのだろうか。
十数年来婦選のために力をつくして来た種々の婦人団体は昭和九年以来、方向転換して母子保護法の達成に協力することとなり、十二年それが可決されてのち、婦選運動家たちの動きは、時局に際して一種の名状しがたい消極的混乱におかれるに到った。「時局研究会」とか「精動」とか種々の委員会への分散的吸収にまかせざるを得なくなって、この夏、新体制の声とともに、婦選獲得同盟は十八年の苦闘の歴史を閉じて解消してしまったのであった。
婦選の動きが日本にあってはこのように見るも痛々しい浮沈をくりかえして、公民権さえもついに誕生し得ないまま未曾有の世界史的変化に当面しているという今日の現実は、明日における主婦たちの政治的自覚を期待する上に、消すことのできない大きい深刻な痕跡を刻みつけているものであることを、私たちは忘れてはなるまいと思う。
金子しげり、市川房枝などの運動と並行して昭和二年(一九二七年)ごろ無産派婦人政治運動促進会というものができ、全国婦人同盟が組織され、その流れは爾
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