、失くなったのは一つの災難であるということを認めてもらう。何故ならハンカチーフはもの[#「もの」に傍点]にすぎない。ここで本質的な問題は夫婦の愛の問題である。愛のしるしのハンカチーフは失われても、愛は守らなければならないし守られ得る。そこに人間の自主的で、状況をのりこしてゆく愛情があるわけである。ところがデスデモーナをみると、ルネッサンス時代の上流の婦人というものがそういうふうに自分の愛を守り自分達の悲劇を防いでゆく能力はかけていたということが考えられる。女性のいじらしさとして、男の側からデスデモーナのような性格がみられていたということにもなる。デスデモーナの悲劇は、限りないオセロへの従順さ、献身が、はっきりした判断と意志とを欠いていたために、事態を悪い方へ悪い方へと発展させイヤゴーの奸智に成功を与えるモメントとなっている。こういうデスデモーナを思うとき、私たちの心には、自然さっきのヘレネの問題につづく婦人の立場ということが考えられて来る。
ルネッサンスはデスデモーナに、皮膚の色のちがうオセロを愛させる感情のひろがりをみとめたが、その愛を完成する知性までは開花させていない。ルネッサン
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