、デスデモーナへの歯がゆさで煮えて来る。どうして、デスデモーナ! 良人のオセロをそれほど愛しているのなら、率直に早くハンカチーフのとられたことを告白して、その不安や困惑を、オセロとともにわかとうとしないのだろうか、と。デスデモーナは、オセロを熱愛しながら、一方で畏怖している。オセロの愛のはげしさをうけみにおそれて、これをなくさないように、と云われたその言葉の力に圧せられ、麻痺させられてしまっている。デスデモーナのこの分別のない過度の従順さ、清浄さ、無邪気さ、品のよさのために、オセロの悲劇は防ぐことが出来なかった。
 ルネッサンスに、こういう作品の出来ていることを、わたしたちは意味ふかくうけとらずにはいられない。ルネッサンスは婦人の人間性も解放したけれどもその人間性は、デスデモーナにおいて、どんなにまで受動的であり、分別が不たしかであやうげなものだろう。私達の今日の常識でいえば、非常に大事なハンカチーフをなくした場合は、貴方からいただいたハンカチーフをなくしました、どうか一緒に探して下さいと告げると思う。見つからなくて、非常に叱られたとしても、そのことによって自分の愛情が変っていないこと
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