分の意志で踏み込んだ経験としてではなく受取った。私どもは人間として誇るべき何ものもない戦に追いたてられた。全く家畜のように追込まれた戦争で、自分たちを犠牲にして来ているために、殆ど夢中で体だけで苦しさに耐え、文学をつくるところまで精神を保っていることが出来なかった。あの当時は女も男も夢中で生きていた。あまりに受身で過ぎた。民主主義文学への翹望は高いのに、何故戦争に対する人民としての批判をもった文学、婦人が母親として、愛人として、また婦人に対して重荷の多い社会の中で経済的に自分が働いて家の柱となって来たその経験について、女の人が文学を書き出さないか。この原因は、今日になってみればただ経験の仕方があまり受けみであったばかりでなく、戦後の生活に安定がもたらされていないということに重大な関係がある。戦争で蒙った心の傷をいやし、文学を生み出してゆけるような生活のみとおし、勤労による生活の確保が失われている。二三ヵ月に物価がとび上るインフレーションは、一人一人の経済を破滅させているとともに、婦人の社会的生活、家事の心痛を未曾有に増大させている。先ず、生きなければならない。生きてこその文学である。文
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