れる。もしただ肉体で経験しただけで文学が出来るなら、あんなに苦しい思いをして三度も子供を産んだ婦人はだれでもそれについて立派な小説が書けるはずだとも云えよう。ところが肉体的な経験からだけではどんな小説も出来ない。平和的な人民の一人として、あの戦は本来どういうものであったか。日本の大衆の誰もが戦争の可否について議論し、一票を投じ、決心して参加した戦であったなら、その歴史的意義と個人の運命への影響を反省もし、そこから人間らしい何かをくみとることも可能な経験だったろう。ところがそうではなかった。頭から脳髄をとり、心臓をつぶしてしまって、ただ一つの忍耐という形の中に男も女も干しかためられてしまった。その石にされた心臓、そして脳髄をすりつぶされたような頭に鉄兜をつけて、毒瓦斯マスクをつけ、そしてみんなが運命を賭し、生命を賭した。日本の婦人は、世界の婦人がそれを信じかねるような程度まで自分の愛情さえ主張することが出来なかった。この状態に対してわたしたちはどう抵抗出来ただろうか。権力で戦争に引張り出されるか、さもなければ戦争はいけないという人間として牢屋に引張られた。このなかに云いつくせない惨酷を自
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