このような地下室つきの自由の上で、たとえギリシアの女の自由というようなことを言ったとしても、現実に女奴隷がその社会に存在しているからには、今日私たちの感情で理解するような本当の自由というものは存在しなかったというのが事実である。ギリシア神話そのものにも、この婦人の立場はよくあらわれていて、たとえばヴィナスは描かれ彫られ、女性の美しさの典型と考えられているが、どの彫刻を見ても、いつもヴィナスは、見られるように観賞物としての女としてあらわれている。織ものをしているヴィナスを見たひとがあるだろうか。子供を育てている普通の女の姿でヴィナスを見た人があるだろうか。キューピッドという彼女の男の子は、いつも恋の使として、金の弓矢をもってヴィナスのそばにいるとしても、ヴィナスの母としての人生、妻としての人生などは見たことがない。彼女は多く裸体で、女性の美しさを発揮しながら、必ず無為の姿であらわされている。ギリシアの生活で働かない女の美しさだけを描いたということは注目されずにいないのである。ヴィナスやヘレネのように女性が芸術の上にあらわれたというところに、人類社会の歴史にあらわれている権力の形の――婦人
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